誰もが知っている、平将門の乱。
でも、本当のところは、知らない人も多いのではないでしょうか?
平将門の乱は、939年(旧暦)11月から翌年940年2月まで続きました。
これは、「反乱」であると認められたのが939年11月で、
実はその前から私闘として、935年から一族内では紛争がありました。
この反乱の初めは、一族の紛争なのですが、
平将門の生い立ちについては、こちらの平将門ってどんな人?をお読みください。


この時代は、「力こそ正義」という考え方が、地方にはあって、
屈辱を与えられたらすぐ報復する、というのが普通である、という背景を覚えておいてくださいね。
(歴史の出来事を見るときに、その時の常識を知っておくと分かりやすいです。今の常識と比べるとおかしなことになるので、要注意です)
この反乱の勃発は、なんと!女性問題なんです。
ちょっと意外じゃないですか?
将門には、妻がいました。
その女性は、伯父、良兼の娘。
とても夫婦仲は良かったようです。
でも、義父である伯父とは仲が悪かったのです。
つまり、結婚を反対されていたのです。
というのも、将門の父である良将が、突然亡くなり、遺領問題が出ました。
その時、義父であり、父良将のお兄さんである、良兼が、乗っ取ろうと画策したことが始まりです。
ここで、どうして良兼が乗っ取りをしようと思ったのか、は諸説ありますが、
将門が躁鬱病だった、とも脚の病気だったとも言われています。
つまり、健康上に問題があったから、が理由ではないか?と「将門記」という書物にも書いてありますが、
真相はわかりません。
将門は、遡れば天皇家の血筋。


(この家系図に出てくる人たちの中での争いが、平将門の乱です)
でも、官職にはついておらず、(京都に行って、仕事はしているが、ほとんど健康上の理由でお仕事ができなかったそうです)無官だったのもその理由の一つだったのかもしれません。
娘の婿が気に入らないし、こんな無骨ものに所領は任せられん!という思いが反乱への火種。
今でも普通にありそうな理由なのが、人っていつの時代も、争う理由は変わらないのねーと思います。
ただ、将門だけでこの反乱を起こしたわけではない。というのがポイントです。
将門と利害が一致する人物がいたのです。
それが、平真樹(たいらのまさき)と平姓を名乗っていますが、出自不明の人が近づいてきたのです。
そこで、
将門 VS 伯父さん達(国香、良兼、良正という父親の兄弟たち)と源護(おじさん達の娘婿)
という構図が出来上がり、争いが始まりました。
この時、勝利したのは、将門。
そして、この伯父さん達が治めていた土地に住む住民達の家を焼き払いました。
(この時代は、負けた方の領地を焼き払うのが普通でした)
この時、伯父さん達の子どもである、将門の従兄弟である貞盛は、帰郷してこの事態を知ります。
この時、貞盛が素晴らしいのは
「将門は本来の敵ではない。父が死んだのは縁族である源護一族の縁に引っ張られただけだ。自分は今は官職についている。やはり都へ戻って中央で頑張ろう。将門とは互いに協力し、天下にその名声を馳せるようにしたい」
と、将門に手紙を送っているのです。
そして、この二人は和解します。
しかし、またここで二人を引き裂く人物が登場します。
それが、前の戦いで敗れた良兼と良正。
結局、和解した貞盛は、おじさん達に「将門を討とう」という説得に従わざるを得なくなり、また戦いに発展します。
ここでも、将門が勝利し、良兼は囲まれるのですが、将門は義父を殺すのは忍びないと思い、わざと逃す、ということをしました。
この争いにより、将門は京都へ裁判を受けにいきます。
(源護が朝廷に訴えたため)
この時、将門は処罰を受けません。
そして、下総に帰ってきました。


また、義父との戦いが始まります。
この時義父の策略で、将門の妻は、連れ去られてしまい、将門と離れ離れに。
この時、あまりの悲しさに、将門の妻は、死んでしまおうかというくらいだったそう。
それくらい、お互い愛し合っていた夫婦だったのです。
(ここは、将門妻の弟たちが策を練り、将門のところへ戻したのでした)
この後、将門は運命的な出会いをします。
それが、興世王(おきよおう)と源経基(源頼朝の先祖)との出会いです。


(興世王と平将門がモデルのねぶた)
興世王は、武蔵国を治める長官。源経基は、次官。
この二人が、将門をいいように扱い、いざこざがあった武蔵国の新任の国司との戦いに将門を利用していくのです。
これが、平将門の乱の始まりです。
前置きが長くなりましたが、背景には
「国司という国を治める人たちが、きちんとやっていないし、やったらやり返す、という力任せの時代だった。」のです。
将門は国司相手に兵を動かしてしまったがため、国家反逆罪の罪人となります。
そして、この将門の首を取れば、一躍官職がもらえる。
みんな躍起になって頑張ったでしょう。
しかし、将門の最後は、あっけなかったのです。
最初、将門勢優勢だった戦で、風向きが変わり、一本の矢が将門の胸に突き刺さり、最後を迎えます。
意外にあっけなく終わりを告げた平将門の乱。
この乱、どんな印象を持ちましたか?
学校ではサラーっと流されてしまうし、将門の首塚は怖いし。というただそれだけの印象がちょっと変わったかな?と思います。
歴史を知ると、人間臭さが現代の私たちと何ら変わりなく、どんな出来事も人物も愛おしく思えてきますよね。










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