落語家のことを「噺家」って言うけれど、
なんで「話」ではなく「噺」なのか、
考えたこと、ありますか?
「話」は
いわゆる「会話」や「談話」のこと。
言偏に舌だから、
おしゃべりっていうイメージ。
一方の「噺」は
「物語」や「説話」など、
“はなしを語ること”。
口偏に新しいと書くから、
目新しくて独創的な口ぶりで
相手を喜ばせるという意味。
漢字を見るだけで、
意味がなんとなくわかるって、
すごいなぁと思いませんか?
そして意味を知ると、
落語は「話」ではなく、
「噺」なのも頷けますよね。
その落語。
機知に富んだオチ(落ち)で
話が終わるから「落語」と言います。
起源は戦国時代。
当時の大名のそばに仕えた「おとぎ衆」の
おもしろい話が元になっているとか。
江戸時代に入って発達し、
大衆の中で育ってきた芸能。
その時代、その時代の
“今”を話に採り入れ、
庶民が「おもしろい」と楽しんできた娯楽。
当時の最先端を行っていたのが
落語だったのでは?
一方で、
イマドキの若者の娯楽といえば、スマホ。
スマホさえあれば、
ゲームもできるし、
テレビや映画も観られる。
遠く海外の様子だって、簡単に見られる。
若者だけでなく、
大人だって夢中になるのも、仕方ない。
というわけで、
スマホも落語も、
その時代の最先端の娯楽。
誰もが楽しめ、日常にあるもの。
だけど、スマホはあくまで疑似体験。
「リアル」で体感したことには、かなわない。
そして、リアルな心の交流こそ、
日々を豊かにしてくれる。
伝わる言葉を磨くのも、
人との関わりの中でのこと。
時代に逆行する必要はないけれど、
時にはスマホを離れて、
リアルな心と心の対話をしませんか?
9月に、
『柳家小きん師匠の子ども向け落語講座』を
開催します。
小さな頃からスマホが当たり前の
世界に生きている子ども達。
リアルの面白さを体感するチャンスです♪