フランシスコ・ザビエルが見た日本

今回は、1549年に来日し、

日本にキリスト教が布教の礎を築いた

フランシスコザビエルについて🌟

教科書にも肖像画と共に紹介されてい

たフランシスコザビエルの目に、

当時の日本はどう映ったのでしょう。

ナバラ王国出身の貴族の子息だったザビエル。

24歳の時に学友とフランスのモンマルトルで

「神に生涯を捧げる」と誓い合いました。

この「モンマルトルの誓い」をした7人で

設立したのが『イエズス会』です。

ポルトガル国王の援助を受け

インド・マラッカ・モロッカ諸島での

布教活動を経て来日しました。

イエズス会は、中心メンバーの 

イグナチオという人が騎士(ナイト)出身だったこともあり

軍隊的な性格をもった組織でした。

そのザビエルは、なぜ日本に来て、

日本をどう見たのでしょうか。

およそ3年3ヶ月滞在し、

西日本を中心に布教活動をしたザビエル。

当時、『日本がどんな国か』

という報告書を上げています。

彼がその報告書を書いた1552年、

日本はどんな情勢だったでしょう?

徳川家康がまだ松平竹千代と言う名の少年だったころ。

当時の日本は戦国時代。

各地で大名のせめぎ合いがあり、

荒れに荒れていた(という印象)の日本です。

そんな日本に滞在し、主に西日本を中心に

布教活動をしたフランシスコザビエル。

彼が書いた報告書の一部を下記に記します。

↓↓↓

この国の人々は、

今までに発見された国民の中で最高であり、

日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。

彼らは親しみやすく一般に善良で悪意がない。

驚くほど名誉心の強い人々で、

他の何ものよりも名誉を重んじる。

大部分の人は貧しいが、

武士もそういう人々も貧しいことを

不名誉と思わない。

↑↑↑

当時、信徒のみが価値があると見ていた

ヨーロッパの風習の中で、

異教徒の日本人をこのように礼賛する内容は

異例の報告書だったようです。

もし、学生のときに読んだ教科書に

このくだりが書かれていたら…

日本人であることに誇りが生まれた気がします。

‘‘他人の名誉を守る‘‘という事を

国が荒れていた時でも、

失わなかった日本。

現在、ネット上で人を傷つける言葉が、

問題になっています。

でも、私たちの遺伝子の中には

大変な時代でも『他人の名誉は傷つけなかった』

そんな宝が眠っています。

なので!しっかり叩き起こして😆

次世代に繋ぎたいなぁと思います。

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