織田信長は本能寺で本当に息絶えたのか?!

2022年スタートの#日本のことコラムは、

数回に分け、戦国時代にスポットを当てます。

私たちは歴史を学校だけでなく、

ドラマや小説からも学んだ気になってしまいます。

史実を取り入れたものもありますが、

それらは大抵フィクション。

事実ではありません。

では、

本能寺の変という歴史上実際にあった史実のうち、

事実は何があるのでしょうか。

はっきりと分かっていることは、

本能寺の変で信長が亡くなった

と書かれている文書がある ということ。

なぜ、明智光秀は本能寺を攻めたのか?

これには諸説あります。

それらはいずれも、

~という理由で本能寺攻めをしたのではないか?

という『推測による説』で、

事実ではありません。

更にこのあと秀吉が短機関で京の都に取って返し、

光秀を打ち滅ぼした。

光秀の軍が破れて、城に帰ろうとしたところ、

山崎のあたりで、竹藪の中から 突然出てきた土民に

竹やりで突かれ 亡くなった。

…という記録が残っています。

(光秀の死にも、多くの説があります)

また、 「光秀の首実検の結果、

光秀のものだと認定された。」

このように書かれたものが残っています。

(ただしこの首は日数が経ち、

腐乱がかなりすすんでいた)

光秀が亡くなってから

3年後の日付けで描かれた 光秀を

正面から捉えた肖像画がある。

という事実。

死んだとされる後なのに、なぜ?

本当のことは、

タイムマシンで見に行かないと分かりません。

ですが、これらを紐解き、

何が起きたかを考察する楽しさが歴史にはあります。

歴史ではその後、

羽柴秀吉は豊臣秀吉になり関白太政大臣に。

最高政治権力者、天下人になっていきました。

これはさまざまな記述が残っており、事実。

今回は分かっている事実を並べるに留めました。

次回、これらを繋ぎ合わせ、

信長は本当に本能寺で亡くなったのか?

に迫っていきたいと思います。

付箋として、信長を表す言葉、

『天下布武(てんかふぶ)』について触れておきます。

これは信長が唱えていた言葉です。

天下布武を=力で(武力で)天下を治める、

と 解釈する節がありますが、

『天下のゆがみを竹(武)のようにまっすぐに整える』

というのが本来の意味だそうです。

武(たける)とは、

ゆがんだものを 竹のようにまっすぐに整えるの意。

信長は壇上の家柄で とても正義感が強い人物でした。

では、信長の正義とは何だったのでしょうか。

この時代、世を歪ませていたものは何だったのでしょうか。

光秀と信長はどんな関係だったのでしょうか。

秀吉は自身の野望を叶える為に天下人になったのでしょうか。

家康が天下泰平を目指した理由は…

戦国時代の日本。

次回もお楽しみに〜

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